(ネタバレあり)大豆田とわ子の実験-『大豆田とわ子と三人の元夫』第9話感想

以下、『大豆田とわ子と三人の元夫』(以下、まめ夫)第9話のネタバレをしてます。

 

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まめ夫の第7話、第8話をご覧になった皆さんがご存知の通り、小鳥遊という人物はビジネスとプライベートを峻別するという特性があります。ありました。それはもう二重人格かと思うほどに。

 

大豆田とわ子は、そんな小鳥遊の公私の人格を統合しようとします。非人間的な人格たらしめていたホモソーシャルの絆(残り物のカレーを食べさせて彼を手懐けたマディソンの社長)から彼を(同じく残り物のカレーで)断ち切ることによって。

 

そうやって出てきた新しい人格は、残念ながら大豆田とわ子の望むような人間ではなかった、そしてそれをとわ子は瞬時に悟ったということでしょう。小鳥遊が社長の不祥事による退陣を「都合がいい」と言ったときに。あるいは、彼女が「(尊敬する建築家の)ジェフリー・バワのような家を建てたい」と言った際、「(マレーシアのバワ建築の影響を受けた住居に住むことで)夢が叶いますね」と小鳥遊が返答したときに。

 

それまでの(具体的に言うと8話の)小鳥遊は、ラジオ体操で会う天使のような人格と、しろくまハウジングの会議室で会う悪魔のような人格にくっきり分かれていました。天使・小鳥遊は、彼ととわ子が愛する数学のように一点の曇りもない純粋さで、とわ子を魅了していました。おそらくとわ子はこちらの人格にだけ、あるいはこちらの人格の特性が多めに残ってほしかったことでしょう。しかし残ったのは、天使と悪魔がいい感じに中和され、人間になった小鳥遊でした。

 

ここまで書いてきて、「男女の機微について何も知らないプライベート小鳥遊=天使」説が聖母マリアの処女幻想の反転であることに気づいたんですけど、男性でそういうキャラ造形をした坂元裕二も演じたオダジョーも凄い、という結論に至りました。ヤングケアラーで世間から十数年隔絶されて過ごした故の無垢さと、仕事という鎧で固められて身動きが取れなくなった不自由さを一人の男性で描き出すのは匠の技としか言いようがありません。

 

最後、とわ子から別れの抱擁と頬へのキスをされたとき、脚本に書かれていたはずなのに完璧に不意をつかれた感じの「お、これは僥倖」といった表情をしていたのを観て、「オダジョーはやっぱ凄まじい役者だなあ」と思いましたね。

 

このドラマもあと一回、どういう結末になるのか楽しみです。