絡め取られて−『塔の上のラプンツェル』感想

TOHOシネマズ有楽座で、『塔の上のラプンツェル』を観てきた。(Dir. Byron Howard and Nathan Greno, Tangled, 2010.)

面白かったので、どこが面白かったのか考えてみる。以下、内容に触れています。

原題はTangledというんだけども、これは「絡め取られて」という意味。ラプンツェルは何十メートルもある長い金髪を自由自在に動かせ、母親(実は魔女)を塔の上に引揚げるのに使ったり、塔への侵入者である盗人を捕まえるのに使う。このことから原題はラプンツェルの髪の毛に「絡め取られ」ることを意味しているのかと思うが、実はラプンツェル自身がこの髪の毛に「絡め取られて」いることをも意味している。

そもそもの原因は、ラプンツェルの出生にまで遡る。彼女の母親である王妃が、妊娠中に病気になった。病を治癒するために必要なのは、「魔法の花」。それは魔女が若返りの薬として大切にしていた秘薬でもあった。王国の騎士たちが「魔法の花」を持ち帰り、それを煎じて王妃に飲ませたところ、王妃は回復しラプンツェルを生んだ。なぜかブルネットの夫婦の娘は、輝くような金髪だった。花を失い老婆の姿となった魔女が、ある夜城に忍び込み、娘の髪の毛に触ると、魔女は若返り、もとの妖艶な美女に戻った。娘の髪の毛に若返り効果があることに気付いた魔女は、娘をさらい、毎晩髪の毛に触って若返らせてもらっていた。若返りの手段を手放したくない魔女は、ラプンツェルに「世の中は危険に満ちているから決して外出してはならない」と言いつけ、18年間塔の中に閉じ込めているのだった。…

物語の焦点は、ラプンツェルが偽の母親の洗脳から逃れ、外の世界に飛び出せるか否かである。母親と彼女の関係は、単純な隷属関係ではない。この母親は、ラプンツェルに掃除・洗濯・料理などの家事をさせる一方、本を読むことを許し(二、三冊だが)、貴重な貝の絵の具を与え、好きなように絵を描かせる。そのかたわら、「自分の誕生日に空に飛ばされるランタン(国王夫妻が娘が見つかることを願って飛ばしている)を間近で見たい」というラプンツェルの要望を、「外の世界には牙の生えた男性や疫病など、危険に満ちている」と言って抑えつける。ラプンツェルがおずおずと反論すると、 “I don’t like your mumble.”(「モゴモゴ言うのは嫌いよ」), “Mother knows the best.”(「母親は何でも知ってるのよ」)と一蹴し、「危険な世界から守ってやっている」という論理で娘を抑圧する。このあたり、年長者が未熟な年少者を自分の思い通りに動かそうとする際に、相手の論証能力の弱さや知識の欠如をあげつらい、「お前のためにやってるんだ」という偽りの優しさを示すのは、実社会でもよくあることである。

しかしラプンツェルは、母親からの抑圧にも負けず、脱出を試みる。塔に侵入してきた盗人フリン・ライダーに協力させ、首尾よく脱出し、愉快な仲間たちと出会い、「塔の外の社会って、そんなに危険なものでも汚らわしいものでもないじゃん」と気づく過程が素敵。

愉快な仲間たちが「ランタンを見る」という夢を諦めないラプンツェルと出会い、ピアノ演奏、パントマイム、運命の恋人と出逢うことなど、昔の夢を思い出し、いきいきとし始めるシーンは、実に魅力的だ。

ディズニーが、「女の子だって、塔に閉じこもって花嫁修業ばかりしていては、運命は切り拓けない」というメッセージをこめていることは明らかだ。ラプンツェルは塔から抜け出し、フライパンを手に追っ手を追い散らし、王子を抱き、自分からキスをする!彼女が動き出したことにより、物語も動き出す。

ここでトレイラーをもう一度見直してほしい。フリン・ライダーの活劇に見えるように編集されているのはわざとだと思う。

このトレイラーを見ると、フリン・ライダーという男性の冒険譚を描いた映画かと思われる。しかし実際は、ラプンツェルという女の子が、主体的に自分の意志で動く女性に生まれ変わるまでの成長を描いた物語だ。予告では「ヒーローが大活躍してお姫様を助ける話」という昔ながらの物語をトレースしておいて、実物ではことごとくそれを裏切っている。トレイラーでミスリードしているわけで、うまいと言わざるを得ない。

実はこの話、もともとの物語からの換骨奪胎ぶりがすごい。もとの話では、どうやらラプンツェルは、塔に閉じ込められて男性に夜這いをされて妊娠する、究極の受身系女性だったからだ。

このエントリを書くために『ラプンツェル』のもともとの粗筋を調べて驚愕した。一緒に観に行った人が「騎士が夜這いを繰り返す話」と言っていたのを聞き「うっそーん」と驚愕していたのだが、子供までもうけてたのか…。

以下、Wikipediaの「ラプンツェル」のあらすじの項から引用:

「あるところに夫婦がいた。長年子供がなかった2人だが、ある時やっと子供を授かる。妊娠した妻は隣に住む魔女の庭のラプンツェルを食べたくてたまらなくなる。食が細ってやつれた妻に「ラプンツェルが食べられなければ死んでしまう」と懇願された夫は、妻と生まれる子のために魔女の敷地に忍び込むとラプンツェルを摘み取りにかかるが、魔女に見つかってしまう。しかし夫から事情を聞いた魔女は、好きなだけラプンツェルを摘んでもいいが、子供が生まれたら自分に渡せと言う。

やがて妻が生んだ女の子は、即座に魔女に連れて行かれる。ラプンツェルと名付けられた娘は、森の中に築かれた入り口のない高い塔に閉じ込められる。魔女はラプンツェルの見事な長い金髪をはしご代わりに、窓から出入りしていた。 そんなある日、森の中を歩いていた王子が美しい歌声に引かれ、塔の中に閉じこめられたラプンツェルを発見。魔女と同じ方法を使って塔に登る。はじめて男性との性交渉を知ったラプンツェルは驚くが、やがて相思相愛となり、魔女に隠れて夜ごと王子を部屋に招き入れて頻回に性交渉を行う。その結果ラプンツェルは妊娠する。
隠れて不道徳な性交渉を重ね妊娠したことを知って激怒した魔女はラプンツェルの髪を切り落とし、荒野へと放逐する。 一方、何も知らずラプンツェルを訪ねてきた王子は待ち受けていた魔女から罵られる中で全ての顛末を知って絶望し、塔から身を投げて失明する。

7年後、盲目のまま森をさまよっていた王子は、男女の双子と暮らしているラプンツェルとめぐり会う。うれし泣きするラプンツェルの涙が王子の目に落ち、王子は視力を回復する。王子はラプンツェルと子供たちを伴って国に帰り、皆で幸せに暮らす」。

こんな話を現代のローティーン女子向けにお色直ししたディズニーの底力は、ほんとうに凄まじいと思った。塔のなかで娘から母親という役割に訳も分からずに自動的にシフトさせられてしまう受身の女性から、自分で運命を切り拓いてみせるヒロインへ、女性像が確かに現代風にアップデートされている。

映像に関しては、初めて3Dで観てよかったと思えた作品。ラプンツェルや母親のドレスの袖口のディティール、湖でランタンを見上げる場面の、何千何万ものランタンの輝き!「女性の自立を勧める映画でも、ロマンチックは止まらないゼ!」と言わんばかりの心配りが、小憎らしいほどでした。必見です!