(ネタバレあり)現実への秀逸なコメントとしての作劇とキャラクター造形の一貫性のなさ-『相棒』シーズン20元旦スペシャル「二人」感想

以下、『相棒』シーズン20元旦スペシャル「二人」についてのネタバレ感想です。

 

-----------------------------------------------

 

録画視聴した元旦スペシャル「二人」の感想。

まず脚本からの改変について触れておきたい。脚本の太田愛氏のブログによると、デイリーハピネスの本社前で非正規社員がデモをしている「あの場面は、デイリーハピネス本社の男性平社員二名が、駅売店の店員さんたちが裁判に訴えた経緯を、思いを込めて語るシーンでした。」(出典: 「相棒20元日SPについて(視聴を終えた方々へ)」『脚本家/小説家・太田愛のブログ』https://ameblo.jp/gralphan3/entry-12718296806.html)とのことだ。ドラマではピンクの鉢巻をした非正規社員たちが本社ビルの前で待遇改善を求めてデモを行い、社員に「通行人の迷惑になるのでやめてください」と制止されるという風に変更されていた。

元々の脚本にない演出にした理由を考えた。仮に、太田愛氏の脚本通りに演出したとしよう。男性平社員二人が非正規の言葉を代弁するのでは資本側対非正規労働者という対立構造が分かりづらい。非正規の人々自身に労働環境の劣悪さ、正社員との格差を主張させた方が、彼らの意向が視聴者にストレートに伝わる。演出する側は現実の複雑さに対し、二項対立の分かりやすさを選んだのではないか。

最高裁判事の懐柔、それに伴い起こった人死にを平気で秘書のせいにする世襲政治家や、右京さんの説話(すでに説教ですらない)にあった「あなたとあなたのお友達のための」経済というのは、明らかに第二次安倍政権の7年8か月を指している。さすがに腹の据わった社会派ドラマだ。最後の最後で安倍晋三を民衆の友として描いてしまった『アバランチ』とは大違いだ。

ドラマのサスペンスは殺人犯ではなく、「湊健雄」を名乗る記憶喪失の人物の正体が担っている。この老人と新という祖母と暮らす貧困層の少年・新の交流が主に描かれる。こんな若い子にさえ自己責任論が浸透しており、「貧乏なのは努力が足りないせいだ」と語る。上述の政治家袴田は、右京さんに貧困層だって人間だと説諭され、「それこそ、自分でなんとかすりゃいいじゃねえか」とのたまう。公助が機能しない、新自由主義に乗っ取られた自民党政権の罪深さを描いたドラマとして秀逸。

しかし私が「ええ〜」と思った瞬間が、前述のデモの場面以外にもあとひとつあった。川原和久演じる伊丹憲一が、篠原ゆき子演じる出雲麗音に、新の安全確認をやめ、実は最高裁判事であることが判明した若槻正隆を保護するよう命じたことである。その隙に殺人犯である政治家秘書の結城に新と若槻は攫われてしまう。私が知ってる伊丹と出雲なら、危険に晒されるかもしれない少年の監視を簡単に解くことはしない。もともと『相棒』というのは、虐げられた年少者への目線がもっと暖かかったドラマのはずである。刑事部長の内村完爾が正義に目覚めたため、そういう民間人の保護よりも政治的に重要そうな人物を重視する役割を彼に振れなくなったからだろうか。この展開が脚本にあったのか、それともこちらも現場の意志で脚本から改変されたのかは分からないが、キャラクターの一貫性というものをよく考えてほしい。