"Chef my ass!"−『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』感想

『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』を観ました。(Dir. Johnnie To, 2009, 原題 Vengeance )*1

以下、心に残った場面を、感想をまじえつつ断片的に挙げていきます。ネタバレ全開です。

血糊鮮やか度★★★★★
食事美味そう度★★★★★
スーツ度★★★★★
DIY度★★★★★
ブロマンス度★★★★★


・まず、主人公フランシス・コステロの娘が、家族のためにパスタ料理を作っている場面から始まる。この食事が非常に美味しそう。穏やかな生活音に観客の耳が集中したあと、チャイムの音が鳴る。対応しようとしてドアの覗き穴に近づいた夫の頭を撃ち抜くライフルの音で、日常から殺戮の現場にシフトしたことが分かる。うまいと思った。

・続いて、後にコステロの仲間となるマカオの殺し屋3人組(クワイ=アンソニー・ウォン、チュウ=ラム・カートン、フェイロク=ラム・シュー)の登場シーン。眼つき、輪郭、髪形とあらゆる点で鋭角的なアンソニー・ウォン「どうかしてるぜ!」というくらいかっこよい。ボスの女と浮気相手の密会現場に殺しに行く場面なんだけど、この最初のシークエンスの3人組の所作は、どこをとっても隙がなく締まっており、やはり「どうかしてるぜ!」というくらいかっこよい。無駄が徹底的に削ぎ落とされた動き。

・殺しにいくときは、仕立てのいいスーツを着用し、仕事が終わったら車の窓から川に捨てる。惜しげもなく投げ捨てる動作がかっこいい。

マカオの女刑事が登場するんだけど、ちょっとほかの映画では観た記憶がないくらい明敏かつ研ぎ澄まされた表情をしていて、とてもいい。

・短期記憶しかもたない主人公コステロ(ジョニー・アリディ)が、経営するレストランとなけなしの財産を元手にマカオの殺し屋三人組に娘の復讐を依頼し、殺戮現場までやってくる。娘が作っていた美味しそうな料理にたかっている数匹のゴキブリで、何日間かの時の経過を示す。そんな禍々しい殺害現場で料理をし始めるコステロ。ワイン、パスタ、各自が現場で気付いたことの確認、銃の検分により、お互いへの信頼を深める1人の白人と3人の東洋人。コステロは、目隠しをしながら素早く銃を組み立てる。殺しの道具のメカニズムを理解していることに感嘆し、「なにをしていたんだ?」と聞くクワイに、「シェフさ」と答えるコステロ。それに対して"A Chef? Chef my ass!"(「シェフだって? 冗談だろ!」)とクワイが笑い、フェイロクが円盤のように投げた皿を撃ち抜く場面の爽快感!

・3人の知り合いの武器商人(一見ゴミ回収業者)から銃を調達し、商人の住居のある野原で試し撃ちをするコステロ。ボロ自転車の後部を撃つと、ヨロヨロと自転車が前進する。それを見た殺し屋たちが自分たちも次々と自転車を撃ち、すいすい前進させる。バランスを崩さず倒れないように進ませるためには、相当の腕前とチームワークが必要なので、彼らの射撃技術を示すシーンである。同時に、ロートルで寄る辺なき異邦人コステロを、凄腕の3人組が助けるということを象徴するシーンでもある。叙情溢れる爽やかな名場面!

コステロの娘の夫と孫を虐殺した殺し屋の居場所を突き止めた4人は、その3人組の集う場所に赴く。しかし相手にもピクニックをするような家族がいることが分かり、彼らに自分たちの存在を知らせたあと、いったんその場を離れる。子供たちのはなったフリスビーを取りに来るために、彼らが自分たちに近づいてくるのを待つ4人。このシーン、殺し屋同士の一見穏やかだが水面下ではいつ銃撃戦が始まるか分からないような、手探りの間合いの緊迫感がすばらしい。

・ピクニックに戻った3人組から、「家族がいる間見逃してくれてありがとう」とでも言うように、バーベキューで焼いた美味しそうな肉が、彼らの子供たちにより4人組に差し入れられる。コステロは勧められるが、"I won't take that food! They killed my daughter's family."'(「食えるか!私の娘の家族を殺した奴らだぞ」)と、拒絶する。大食漢のフェイロクはすでに肉にむしゃぶりついていたが、「ぺっ」と吐き出す。ここらへん、「食事をともにする=仲間になる」というジョニー・トー映画の価値観が如実に表れていて、面白い。

・3人組との銃撃戦が始まるが、惜しくも取り逃がし、4人もそれぞれ負傷する。傷の手当てもすべてDIY。その際に、殺し屋稼業の頃、頭に受けた銃弾が脳内に残っているため、短期記憶しか持たないようになったと告白するコステロ

・ここらへんから血で血を洗う抗争になっていき、スーツも段々と血で崩れていく。この映画は衣服の使い方が効果的だ。

・短期記憶しか持たないコステロのため、銃身に復讐相手の名前を書いてやるクワイコステロの復讐相手は、クワイたちのボスだった。

・ボスの差し向けた刺客に襲われ辛うじて脱出するが、コステロは3人とはぐれる。記憶が途切れ、満身創痍、土砂降りの雨のなか、写真を持って呆然と夜の香港の街頭に佇むコステロ。ずぶ濡れになったコステロを発見してほっとする3人。このコステロと3人がお互いを見つけあう場面がやはり「どうかしてるぜ!」というくらいかっこいい。

・このあたりから、「記憶をなくしつつある男に、復讐の意味があるのか?」という疑問が出て来る。「彼を助ける男たちの行為に意味はあるのか?」と。ここでクワイが「彼は忘れても、俺は約束した」と言う。ここまでいくと、ほんとうに「どうかしてるぜ!!!」としか言いようがないくらいかっこいい。

・金を渡してコステロの面倒を見てくれるよう頼んだ知り合いの肝っ玉母さん(子沢山な点が後の伏線)が、「ご飯食べてきなよ!」と3人を引き止めても、3人は食事しないで去る。食事をしない、ということは「明日を生きる予定がない」ということで、死地へ向かう3人の覚悟が表れている。

・武器商人の住居に行ってみると、ボスの寄越した刺客によりすでに息も絶え絶えで、AK、AUG、ブッシュマスターなどの銃器の隠し場所を3人に教え、「皆殺しにしろ」と言ったあと息絶える。彼らを待ち構えていたボスが、大勢の手下を引き連れて迫り来る。武器商人の作った巨大な紙の塊が、西部劇のタンブルウィードのように野原をゴロゴロと転がるなか、この映画でもっとも美しい銃撃戦が始まる。サングラスをかけ、煙草をくわえながら、銃で応戦する3人。多勢に無勢で、力尽きる3人。ここらへんの画面構成が、跪いたアンソニー・ウォンが画面手前に、やはり満身創痍のラム・カートン、ラム・シューがウォンの斜め後ろにきれいに続く配列で、「銃撃戦でこんなコリオグラフあり得ない」と思うんだけど、やはり「どうかしてるぜ!」というくらい美しい。

・テレビで3人の死が報道されているのを聞いても、肝っ玉母さんのもとに預けられていたコステロには何のことか分からず、食事を続けようとする。すでに彼らの記憶を失っていたのだ。肝っ玉母さんや子供たちの悲しむ様子を見て、"I know these people, don't I?"(「私は彼らのことを知っていたんだろう?」)と言い食事を中断し、海水に身を浸してひたすら神に祈り、記憶を取り戻すための行を行なうコステロ祈りに答えるかのように、娘や3人の記憶が奇跡的に戻る。

・銃に書かれた名前で復讐相手を思い出すコステロ。肝っ玉母さんや子供たちも彼の復讐に協力する。広場で警備の者たちに囲まれながら食事をしていたボスのコートに、チャリティのシールをベタベタと貼り付けて、コステロのために目印を付けてやる子供たち。

・ボスは防弾チョッキを着ているため、コステロが撃っても中々死なない。仕留めるには頭を打ち抜くしかない。頭に銃弾が残っていて、その銃弾のために記憶が長続きしない男が、どのように復讐を成し遂げるかというと、相手の頭を打ち抜くことである、という点は興味深い。

・ボスが脱ぎ捨てたコートに開いた銃創と、ボスの着ているシャツの穴の一致から、子供たちの教えてくれた復讐相手を洗い出すコステロ。"This
jacket belongs to you."と言って、アイデンティファイする。記憶がなくても、周囲の人々の協力により、執念の復讐を成し遂げたコステロ

・海辺で肝っ玉母さん一家と幸せそうに暮らすコステロの笑顔で映画は終わる。

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素晴らしすぎて、心に残った場面を一度文字で再現せずにはいられないような映画でした。

内容について言うと、最後のあたりでは、復讐そのものよりも、自分の復讐に協力してくれた人々の思いに応えるために、コステロは銃を取ったように思いました。
復讐から生まれる友情やポジティブな感情があり得るということに驚きました。

どの場面をとっても美しい映画、何度も観ると思います。

*1:

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を [DVD]

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