追う者と追われる者の類似性―『ハンター』感想

(Dir. Daniel Nettheim, The Hunter. 2012. Australia)

谷東急で、『ハンター』を観てきました。
非常にストイックかつ静謐な雰囲気を湛えた作品でした。以下、内容に触れています。

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生物化学会社レッドリーフから、世界に1頭だけ残ったタスマニアン・タイガーの臓物、繊維組織、血液を採取してくるよう依頼を受けたハンター、マーティン・デイヴィッド。この動物は20世紀になって絶滅したと考えられていたが、レッドリーフは2件の目撃情報を掴んでいた。デイヴィッドが滞在することとなった家の主人は、8か月に前同じくタスマニアン・タイガーの調査に出かけ、そのまま行方不明となっていた。デイヴィッドは滞在先の子供二人と、夫が行方不明になってから薬に依存して暮らしていた妻と心を通わせていく。しかし、森林伐採を生業とし、環境保護団体に仕事を奪われたと激怒する地元の人々に、彼は目の敵にされ始めていた。…


ハンターの魅力:

ウィレム・デフォー演じるハンターの精悍な顔つき、淡々とした佇まいがいいです。iPodから流れるクラシック音楽で精神を鎮める、バスタブにお湯を溜め、入浴で体を清める、枕元に仕事道具を整然と並べる。

それらの精緻な生活習慣から、彼が自己の規範に従って働くプロフェッショナルであることがうかがえます。高級ホテルに滞在し、仕事道具を手入れする姿は、一見エリート・ビジネスマンにも見えます。しかし森に入れば一転、動物を狩り、さばいて毛皮と肉を別々にする、ということを顔色一つ変えず遂行します。


ハンターと獲物の存在様式の類似性:

全世界に一頭しか残っていないと言われるタスマニアン・タイガー。数か所にねぐらを持ち、ほかの動物を捕食し、たった独りで静かに死を待っています。

この存在様式は、ハンターのものと類似します。彼は助手をつけようと雇われ先のレッドリーフに言われると、「二人で行動するのは危険だ」と断ります。一人で森に入り、足跡を追い、罠を仕掛け、獲物の住む洞窟を見つけます。

一匹狼のように生きる彼が、現地で知り合った母子との交流を通じどう変わっていくのか、という点が見どころの一つではあります。


タスマニアン・タイガー>人間の構図:

奇妙に浮き彫りになってくるのは、舞台となっている土地で「絶滅危惧種の動物の方が人間の生活よりも貴重で価値がある」という構図です。森の仕事で生計を立てている地元民は、環境保護団体による森林伐採反対運動により、仕事にあぶれます。レッドリーフという団体は、タスマニアン・タイガーを求めて何人もハンターを送り込んできます。そして、その動物を追う過程で、人間の命が何人分か失われます。

人命や人間の生活よりもタスマニアン・タイガーのデータ採取の方が優先されているのです。なぜこれだけ動物保護の意識が発達した文明のなかで、人間と動物が共存ができないのか、そこには奇妙なねじれの関係があるようで、考えさせられました(このねじれの関係は、「企業による自然と人間の搾取の構造」と言い換えてもいいかもしれませんが)。

最後は、ある子供の目で終わります。それは、ハンターをじっと見つめたタスマニアン・タイガーの目にそっくりでした。

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舞台となっているタスマニアのセントラル・プラトーの山岳、湖沼、湿地帯といった大自然も見ごたえがありました。タスマニアの自然、タスマニアン・タイガー、そしてヴィヴァルディの音楽と同じ映画のなかにあってまったく遜色のない存在感を見せている主演俳優ウィレム・デフォー。やはりこの俳優さんは凄いなあ、と思った次第です。

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【余談】この映画、銃、ナップサック、ステイジ・バッグなどハンターが手にする数々の道具がフェティッシュな関心を呼び起こします。その中でも青いボトルが印象的な使われ方をしていたのですが(ハンター自身の物ではない)、自分が以前購入した物と似ていたので、ここに挙げておきます。

LAKEN(ラーケン) クラシック ブルー 0.6L PL-31A

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