"Please let me in"/ "Never let us out"―『へんげ』感想

(大畑創監督, 『へんげ』, 2011, 日本.)

シアターNで、『へんげ』を観てきた。

催眠療法および観念運動」。ある男性が精神療法を受ける場面から、この映画は始まる。治療を授けているのは、彼の外科医の後輩。発作を起こして身をよじり奇声を発する患者の男性は、「蟲に意識を乗っ取られている」と言う。ある夜の発作で、彼の妻は夫の腕がおぞましい形に変形しているのに気づく。果たして彼は、元に戻るのか・・・。彼が発する奇声の正体は・・・?

非常によくできた夫婦愛物語であり、人体変形物だと思った。
「伴侶がどんな姿になっても愛せるか」というテーマが追求されている。

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海外への配給を意識してか、この映画には英語字幕が付いていた。それによってよりメッセージが明確になっている部分があったので、少し引用したいと思う。

・中盤、病院から抜け出してきた夫が、家に入れてくれるよう懇願する場面、夫が"Please let me in."と言う。
これは吸血鬼が夜、獲物の部屋を訪ねたときに言う台詞と同じである。吸血鬼は、相手の承認が無ければ部屋に入ってはいけないことになっている。*1
・夫が久しぶりに外出して「気持ちいい」と言う場面に付いた字幕は"Fresh air"。幽閉された化け物の悲哀がよく表れていた。
・だんだんと変化していく夫が、閉じ込められた部屋の中で意識を取り戻したとき妻に、「閉じ込めたままにしておけよ」と言う。このとき英語字幕は"Never let us out."。閉じ込められる対象を表す目的語が"us"と複数形になっていて、「夫が複数の蟲に意識を乗っ取られている」ということが改めてはっきりする。

言葉と言えば、英語字幕とはほかに、「ある言語」が非常に重要な役割を果たしている。そして、この言語の存在を指摘するのが、夫の後輩で外科医の坂下である。坂下を演じた信國輝彦さんによる催眠療法場面は、本当に異世界に誘導するような声音で、『CURE』(1997)の萩原聖人や『恐怖』(2010)の片平なぎさを思い出させる不吉さだった。坂下の冷静さを装った狂気は、間違いなく終盤のカタストロフィを招く要因となっている。

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私は評判の高いラスト10分よりも、序盤、中盤で描かれる夫を支える妻の行動にグっときた。夫が発作を起こすと、ベッドの横に用意されたロープで縛り付ける。すでに、夫の異変が日常になってしまっていることが分かる。妻は自分の身が危険に晒されても、献身的に夫に寄り添い続ける。
「入れてくれ」と言われれば受け入れ、「閉じ込めたままにしておけ」と言われればそうする。
夫も、闇雲に人間を攻撃することはなく、妻に承認を求める。*2
終盤、刑事たちに対峙したときの夫の行動。
向けられる暴力の強さに比例して、夫の妻への愛の強さも分かる場面である。

悶絶するほど切ない夫婦愛の物語だった。

*1:ぼくのエリ 200歳の少女』(2008)では、承認無く部屋に入ったことにより、全身から血が噴き出す様子が描かれていた。この映画の原題は"LAT DEN RATTE KOMMA IN"[英題: "Let the Right One In"]、ハリウッド・リメイク版(2010)の原題は、"Let Me In"である。

*2:彼女の献身が危険な色合いを帯びてくるのはここからであり、倫理などを超越した盲目的な離れられなさが胸を打つ。