本当の攻撃対象は誰か?−『ファニー・ゲームUSA』感想

DVDで『ファニー・ゲームUSA』を観ました。(Dir. Michael Haneke, Funny Games U.S. , United States, 2007.)

「われわれはなぜ残酷描写が含まれる映画を観るのか」に関し、実に倫理的な問いを突きつけてくる内容だと思いました。以下、内容に触れています。

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冒頭、湖に浮かべるための小型ボートを引いたSUVが別荘地を走るのを、上から取ったシークエンスが続きます。
車内ではクラシックの曲が流れています。
曲の演者を当てるゲームに興じているのは、裕福そうな白人夫婦です。
後部座席には聡明そうな男の子。二人の息子です。

突然そのクラシックが、耳をつんざくようなノイズ音楽に変わり、血のように赤い文字のオープニング・クレジット。

次に、家族が裕福で満ち足りている様子を表す場面が続きます。

夫と子供(どちらも名前はジョージ)はボート遊びの準備を始めています。
大型犬も連れてきています。
ゴルフのクラブも別荘に置き、レジャーの準備は万端といったところ。

そんななか、妻のアンは夕食の準備。「牛半頭分もステーキを買ったのよ。ぜひ遊びに来てちょうだい」と、友人夫婦を熱心に誘っています。
そこへ隣家からの使者が「卵を借りに」現れます。
初対面ですが、先ほど隣の別荘で友人と一緒にいたのを見ているので、こころよく卵を4つあげます。

しかし、青年は玄関で卵を割ってしまいます。
戸惑いながらも、「大惨事にはならないわ」("Disaster's under control.")*1と言いながら、アンは片づけをします。

初対面で、4つも卵を貰っといてしかも割ってしまったんだから、諦めてもう去るはず。
普通ならそう思いますが、青年は「卵パックは12個入りでしたよね。あと4個ください」と図々しくも要求してきます。
少しイラっとしながらも、今度は割れないようにカーボン・パックに入れて卵を4つ渡します。

やっと青年が去り、台所で「なんておかしな客だったのかしら?」と笑うアン。「でももう関係ないわ」。

そう思った瞬間に玄関で「ガシャ」という物音。青年がまた卵を割ってしまったのです。

「お宅の犬が悪いんですよ。飛びついてくるから」もう一人の青年が、玄関ホールで言います。

「卵はあと4個残っていたでしょう?」と当然のごとく聞き、一家の卵をすべて奪おうとします。

あまりの厚顔無恥に、「図々しいわね」("How dare you!")とアンが言っても、卵を割った青年は「ボク、何か悪いことした?」("Did I do
something wrong?")ととぼけたようなオロオロ顔で聞くばかりです。

二人の青年は、初対面の人間がどこまで非常識な要求に応えるか、そんなゲームをしているように見えます。

夫と息子が湖から帰ってきます。なかなか去ろうとしない青年たちに困惑する夫。口論となり、青年の一人の頬を軽くはたいた夫は、ゴルフクラブで足を殴られます。

拘束される3人家族。

そこから恐怖の「ファニー・ゲーム」が始まります。

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陵辱と蹂躙のゲームの様相は、以下の通りです。

1. 彼らの恐怖を重々承知しているのにもかかわらず、抵抗できない彼らと「あたかも暴力による支配関係が存在しないような」模擬会話を試みようとする。
(例:「彼女が逃げようとしたのは、お前が彼女に贅肉がついてるなんて思ったからだ」→「贅肉がついてないのを証明するために、服を脱いだらいい」)

2. 二人が「なぜこんなことをするのか」、「ヤク中」、「近親相姦」の過去など、もっともらしい理由・動機を説明するが、どれも事実とは思えない。

3. 家族は人間の尊厳を冒され、蹂躙されるが、裸になったアンや、傷ついた人体の直接的描写は避けられている。

4. 家族を陵辱する青年の一人が、常に観客の目を意識している。(例:画面の向こう側に笑いかける、誰だか分からない相手の肩を叩く、「殺すタイミングってものを考えろ。こんなに早く終わっちゃつまらない。あんたたちだってことじゃ納得しないだろ?」と観客の方を向いて言う。)

特に4は、この映画を理解する上で重要な要素のように思えます。

「画面越しに惨劇を見ているあなたたちを楽しませるために、こんなことをしている」
そう言わんばかりです。

息子をライフルで射殺したあと、二人はいったん去ります。
大切な一人息子を守りきれなかったことに打ちひしがれ悶え苦しむ夫婦を、カメラは延々とロングショットで映します。

「こういうものが見たかったんだろう?」とばかりに。

ついには、「観客を楽しませたいんだ」("We want to entertain our audience.")という台詞まで出てきます。

夫の命を盾に取られ、神への祈りを強要されるアン。「どっちにしろ負ける、何をしても殺される」ことが分かっているなかで、祈りを強要される救いのなさ。そんな絶望的な状況のなか、アンは首謀者の青年の隙を見て、もう一人の青年をショットガンで撃ち殺します。
しかし、首謀者の青年はなんと、リモコンで巻き戻してその殺しをなかったことにしてしまうのです。

巻き戻した際に、「ゲームのルールを守れ」と青年は言います。何のルールなのでしょうか。
私には、彼らが遵守しているルールとは、「この映画を観ている観客の欲望に応えること」だと思えました。
ここで、「この映画を観る観客がどう思われているか」という疑問が湧いてきます。

陵辱、蹂躙の描写が観たい観客。彼らの欲望こそが、リモコンで再生されるしかない登場人物を殺す。そう言わんばかりです。

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家族3人が殺害されたあと、アンに紹介してもらった一家を青年二人が訪問するところで映画は終わります。

冒頭、観客はスクリーン・ドア越しに青年の顔を見るアンと視点を共有していました。
しかしラストでは、隣家のドアを叩く青年と視点を共有しています。

「いまから何が起こるかわかってるだろう?」そう言いたげないたずらっぽい笑みを見せる青年の顔で、映画は終わります。

その顔は、映画を観ていた私自身の顔なのでしょうか。*2

『ファニー・ゲーム』という映画を観なくてもいいのに観た私は、彼らの共犯なのでしょうか。

この映画は、サスペンス映画やホラー映画を好む観客自身を攻撃対象にしているのではないか。そのような問いを残す映画でした。


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*1:のちに家族の努力ではまったく制御できない大惨劇がおこることを考えると、非常に皮肉です。

*2:「鏡」や現実と虚構の話も、終盤次のターゲットの家に向かう湖の場面で出てきました。