史上最悪のヴィランの凡庸化-『ミスター・ガラス』

「シャマラン、なにやってるん? 私のミスター・ガラスに何してくれてるん??」と詰問したくなる腹落ち感のまったくないエンディング。


「世界にスーパーヒーローの実在を知らせるために」自分の命まで差し出すヴィラン…泣ける。「でもミスター・ガラスはそんなつまらない"suicide mission"(cf. ステイプル医師)に命をかけるような小さな器のヴィランじゃない。スーパーヴィランなんだよ!」と涙ながらにこのキャラの創造者に訴えたくなる映画。


今回のシャマラン・サプライズは、「19年間待ってたファンの期待を裏切り、『アンブレイカブル』のヒーローとヴィランを殺す」ことだった…。


腕にクローバーの刺青をした「スーパーヒーロー抹殺機関」の登場も、これまで巧妙にシャマランが避けてきた陰謀論に陥ったようで残念。


自分の物語作家としての完成が最上の課題なんだなあ、よくも悪くも作家主義の人だなあ、と。


「群れ」の実体化と思ったら、天井に張り付いたビーストの視点から見たディヴィッドと囚われのチアリーダーたち、という序盤の視覚トリックだけは面白かった。


ケヴィン役のジェイムズ・マカヴォイは、オスカーに値する名演。ベテラン二人ではなく彼の名前がエンドロールの筆頭に来るのも納得の演技で、彼の熱量一つでこの映画の構造を支えるほどの気概を感じた。


"Unbreakable""Split""Glass"とヒーロー三部作のタイトルを並べてみると、「壊れない」「裂けた」「ガラス」であり、それはこれまで隠されてきたヒーローの姿が無数の液晶画面の中でも拡散する姿に重ね合わされている。19年かけて完成された絵図、というのは分かる。分かるけれども、私はもう少し"Overseer", "Beast", "Glass"の活躍が見たかった。


追記: 削除シーンを見たら、「ディヴィッドが能力を捨てヒーローをやめ、息子との平穏な暮らしを望んでいた」ことがステイプル博士との対話から判明するシーンがあり、「なぜ物語全体の意味が変わるような大事なシーンを削除するのか…」と思った。