自分のために料理して食べる場面があるのはいい映画-『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

マンソンファミリー: 「テレビであたいらに殺しを教えた奴らを殺すんだよ!」


クリフ・ブース: 彼らをほぼ素手で撲殺。


LSDで飛んだ頭で薄笑いをしながら、"You're real?"と聞いてからのタガが外れたような戦闘シーン。現実の悪意がテレビの中の暴力に返り討ちにあうという皮肉がヒリヒリ効いている。架空の存在は現実の暴力には敵わない、という前提に中指を突き立てているかのような、スタントマン・クリフの圧倒的暴力。「マンソンファミリーだからやられてもしょうがない」という免罪符のもとに彼が振るう暴力に爽快感はまったくない。明らかに過剰防衛であるし、見ていて気まずい。しかし本来暴力とはそうあるべき(人を気まずくさせる)ものなのだろう。


最後の大立ち回りでのクリフ(+犬のブランディ)の活躍は、いま流行りの「有毒な男性性」への挽歌のよう。しかし彼は最後に男性の活力源の象徴である腰部をやられる。これは誰も犠牲者のいないハッピーエンドの歴史改変物語ではない。クリフはスタントマン生命を絶たれるのだから。


ロサンゼルスの街を車で疾走する場面からも分かる通り、この映画で実際にアクションを起こすのはクリフで、リック・ダルトンがやるのは演技だ。ハリウッドで真っ当に生き残ろうとしている健気な彼に、クリフは忠誠を誓っているようだ。


そんな彼らの関係性は、クリフの片思いで終わる。マンソンファミリーが押し入りほかに誰かいないか聞かれたとき、彼はリックの新しい妻フランチェスカの存在だけを知らせる。しかしすべてが終わり、プールから室内に飛び込んできたリックが真っ先に呼ぶのはフランチェスカの名前だ。永遠の片思いのようで切ない。


リックがクリフに"I can't afford you anymore."と言うことから、何らかの金銭の授受はあったのだろうが、小遣い程度のものだったろう。ダルトン邸の棚にもブランディの餌があったことからうかがえる二人の関係の親密さがいい。


『イングロ』から続く歴史改変はもちろんのこと、いまも昔もご法度な女性への過度な暴力描写、タバコのCMのパロディなど、やりたい放題である。しかもまだまだ手さばきは新鮮で、自家中毒に陥っている様子など微塵もない。


公開前に議論の的となっていたブルース・リーの扱いだが、クリフがこの映画で暴力を体現する存在であることを強調するような演出だったと思う。しかしゾーイ・ベル演じる衣装係(?)ジャネットが言う通り、ブルース・リーは『グリーン・ホーネット』のヒーローで、クリフはいくらでも代替要員のいるスタントマンだ。ここでも「敗北し、去りつつあるものへのはなむけ」のニュアンスを感じた。


ブルース・リーシャロン・テートやほかの白人俳優に稽古をつける場面でも登場する。ハリウッドはポランスキーが象徴するヨーロッパ、リーが象徴するアジアから新たなスターが到来し、大きな変化の中にある。その中でお払い箱になりつつある旧型の白人男性俳優やスタントマンはどのように食い扶持を稼げるか、という状況設定がある。


最近のハリウッド映画にしては珍しく黒人があまり出てこない映画だった。ここらへんも「1969年ハリウッドのリアル」か。


現実の映画やドラマにリック・ダルトンを紛れ込ませる手法は面白かったので、もっと観たいと思わされた。


アル中のリック・ダルトンを演じたディカプリオの演技力の高さに惚れ惚れした。特に酒場で主人公と対話している最中に台詞を忘れ狼狽するシーン。台詞が脳内から飛び、「ケイレブ・デカトゥー」から「リック・ダルトン」に移行するときの自然さよ。本作で最も、役者の演技に目を奪われたシーンかもしれない。混乱と焦燥の中にユーモアが漂う、ああいう演技ができるのは、ジャック・ニコルソンとディカプリオくらいではないかと思う。


しかしアルコールで台詞が飛ぶ中なんとか奮起し、「邪悪なハムレット」と言われるほどの名演をしたリックが報われ、オファーが舞い込むような展開はない。アル・パチーノ演じるエージェントがリックにマカロニウェスタンの主役をオファーするのは、テレビでリックがゲスト出演した『FBI』を観たあとだ。そこらへんの勘所をわざと押さえない手法に、若干散漫な印象を受けた。


さりげなくチャールズ・マンソンの決定的責任を回避しているのも不思議な印象を残す。マンソンファミリーは何しろ、マンソンに言われた邸宅ではなくリック・ダルトン邸に押し入るよう、直前に翻意するのである。自分たちの意志で。マンソンの脱神話化を意図したのか。


リック・ダルトンと子役が並んで本を読む場面がいい。リックが人前で泣き出すシーンは二つあって、一つがクリフの前、二つ目がこの子役の前である。読んでいる本の内容を説明するうちに、自分の境遇を重ね合わせて思わず涙してしまうリック。この主人公には何かいいことが起こってほしいと思う観客に応えるように、最後はハリウッドの新しい潮流(彼とその相棒が知らないうちに魔手から救い出した)が、彼を受け入れる描写で終わる。


しかしエンドクレジットの途中で、タバコの味や二重アゴ等身大パネルを作ったスタッフにキレる場面を入れるあたり、「どうして彼が凋落したのか」までさりげなく示していて芸が細かい。


挿話的な話の連続した映画である。最も思い出すのは一見話の流れに関係なさそうな場面。とりあえず今いちばん思い出すのは、クリフがリックに「疲れたから帰るよ」と言ったのに、一人でドライブインシアターに向かい、帰宅後犬に餌をやり、自分用のチーズマカロニを調理してソファ前に陣取りビールで流し込む場面。「ああ、ちゃんと生きている人だ」という気になる。あとリックがマルガリータをミキサーで作る場面も。男女問わず、「登場人物が自分のためだけに料理して食べる日常が入っている映画はいい映画」という思い込みがある。


TSUTAYAに「リック・ダルトン」棚ができそうなほど、映画そのものと同じくらい映画内映画が魅力的。特に"Green Door"を歌い踊っているときのディカプリオの「あの時代のスター」然とした表情たるや。


余談: タランティーノ、女性の足の裏にかなりのフェティシズムを抱いていると思う。しかしこの映画で最もカメラが追う肉体美は、ブラッド・ピットのものであった。屋上の半裸姿と、何度も映される節くれだった腕。


余談2: 劇中でシャロン・テートの男性の好みが、"she clearly has a type: “Cute, short talented guys who look like 12-year-old boys"と説明される箇所がある。背の低い男性がタイプの女性が出てくる映画、初めて観た気がするので印象に残った。