生き残った理由は運か、強さか?-『ウィンド・リバー』

自発的な選択と偶然性ということに関して考えさせられる。


ジェーンに対しコリーが最後、「君が生き残ったのは運じゃない。倒された者は弱かった。君は強かった。自分の力で生き残ったんだ」的なことを言うんだけど、最後にジェーンは「ナタリーは10キロ走ったのね」と言って号泣する。


このときジェーンは、ドア越しに二回も襲われて生き残った自分の運の良さを考えていたのかもしれない。彼女は催涙スプレーで襲われたあと不良グループの一員との銃撃戦に勝つ。その後、ピートにドアの向こうからマシンガンで撃たれたのに助かっている。彼女の銃のスキルや防弾チョッキといった備えのおかげもある(彼女は強かった)のかもしれない。しかし同じ過ち(危険を事前に察知できず、ドア越しに襲われる)を二回も繰り返したにもかかわらず生き残れたのは、多分に運の良さもあるはずだ。


肺が破裂して血を吐くまで10キロも走ったナタリーが弱かったはずはない。むしろこの上もなく強かった。それでも彼女は死に、ジェーンは生き残った。


また、マーティンの娘ナタリーの死はコリーによって贖われたが、コリー自身の娘エミリーの死の真相は分からない。


マーティンの息子へのコリーの説教(「軍や大学へ行く道ではなくヤクの売人の道を選んだのはお前だ」)や、「都会では偶然事故に遭うことのような運の悪さで死ぬことがあるが、ここ(インディアン居留地)では偶然はありえない。すべては必然だ」というベン・ショーヨーの台詞により、自身の選択の大切さが強調されている。しかしそれとは裏腹に、軍を除隊して採掘所の警備員として働いていたマットのようなまともな人物でさえ、周囲に有害な男性性を持つ同僚がいたせいで、リンチに遭い死んだ。


生き残るには自身の選択だけではなく、運の良さ(偶然性)も関係していることを、映画の展開は主にジェーンの生存により示している。


しかし16歳でコヨーテに食い荒らされた死体となって発見されたエミリーの身内であるコリーの口から、「生き残るのは運じゃなくて強さ」という言葉が発せられたことの意味は大きい。彼自身は「なぜ自分の娘がそんな目に遭わなくてはならなかったのか」を考え続けている。


もうすでに死後の世界にいるような人間で、彼だけスノーモービルで単独行動をしたり、雪に同化するような白装束にはそのような意味もあるのだろう。


その彼がジェーンに「君が生き残ったのは運じゃなく、強かったから」と言ったのには、限りない優しさを感じた。