捨てられる本を拾う女―『引き裂かれた女』感想

イメージフォーラムのクロード・シャブロル特集で、『引き裂かれた女』を観てきました。(Dir. Claude Chabrol, La Fille Coupee en Deux [A Girl Cut in Two (英題)], 2006.)


おフランスのお方は恐ろしく残酷な物語を撮るもんやで!これはもう恋愛なんてなまやさしいもんやない…。愛と苦痛の物語である。 以下、ネタバレ感想。

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粗筋は、以下の通り。


お天気キャスターのガブリエルを見初めた作家のシャルル・サン・ドニは、彼女の母親の勤める本屋で開催された自分のサイン会にやってきたガブリエルを、デートに誘う。ガブリエルは20代後半、サン・ドニは60代に近く、彼女の倍以上の年齢である。オークションで競り落とした『女と人形』という高価な本をガブリエルに買ってやるサン・ドニ。ガブリエルは連れてこられた彼の仕事場で自分からキスを求め、いとも簡単に体を任せる。しかしサン・ドニにとっては彼女は何人目かの若い遊び相手に過ぎず、飽きると乱交パーティに彼女を供する。しかも彼女の誕生日に!サン・ドニに手酷く捨てられたガブリエルは、傷心の時期に激しく求婚してきた金持ちの御曹司ポールと結婚してしまう。愛のない結婚の行方は…。


シャルル・サン・ドニの本:

父親よりも年上のサン・ドニが、「本気になってはだめだよ」というようなことを言ったとき、ガブリエルは怒ってオークションで買ってもらった高価な本を投げ捨てる。しかし彼女はサン・ドニの本は劇中決して投げ捨てない。作家であるサン・ドニの本の扱いから、彼と周りの人間の関係が明らかとなる。


・彼のマネージャーであるカプシーヌは車の後部座席にサイン会用の本を運んでくる。彼女がサン・ドニという作家をサポートしプロデュースしていることが明らかとなる。


・テレビ番組の司会者は、トークで内容を聞かなければならないにも拘わらず、「もうこの本のことは十分です」と言ってティー・テーブルの上にドサッと投げる。カメラの前で。本の中身は読まず、文学賞のことばかり聞いてくる司会者。しかも相手としている作家がすでにその賞を獲っていることを知らない。サン・ドニの作品が、すでに世間では内容ではなく知名度や賞といったステータスで論じられる対象で「しかない」ことが分かる。


・なぜかサン・ドニに対抗心を燃やしガブリエルを奪おうとするポールは、サイン会で挑戦するように本を手に取り、「サインをしてみろ」とばかりに作者の前に投げる。本屋から出ると、もう用はないとばかりに街頭に捨てる。(このポール役はミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』でイザベル・ユペールの相手役を演じたブノワ・マジメル。無邪気さと残酷さを兼ね備えた若い男性を、説得力をもって演じていた。)


・ガブリエルはテレビ局のディレクターの机からシャルルの本をこっそり盗む。それを読み、自分の好きな人がどんなことを考えているのか学ぼうとする。


・ポールの実家であるゴダンス邸に集まる上流階級の有閑知識人の間で、シャルルの最新刊の話題が出る。彼らは「シャルルのいつもの手口、同じ内容で違うタイトル」だと思っているので、最新刊のタイトルも思い出せない。しかしガブリエルだけは、『ペネローペの不在』というタイトルを即座に挙げるのである。すでにサン・ドニに手酷く振られ、ポールの妻となっているのにもかかわらず。ガブリエルだけは、彼も彼の創作物も、あたかも自分のためだけに新たに創造されたような創作物のように、真剣に受け止めているのだ。


初老の男が若い女に持つ魅力:


なぜ若く美しく、同世代の恋愛相手にも不自由しないであろうガブリエルが、老境に差し掛かったサン・ドニを欲するのか。


ガブリエルは、若くてお金持ちの御曹司ポールではなく、知的に洗練されたおそらくはもう60代に近い老作家を選ぶ。彼女には父親がおらず、シングルマザーに育てられた娘である。父親からの愛情を十分に受けていない。教育への欲求があったのかもしれない。しかしその仮説が馬鹿げていることは、劇中の秘密の乱交クラブの常連と、サン・ドニの対話で判明する。常連は自分の娘と年の離れた彼女の恋人について語る。「娘は23歳。彼氏は50歳。やはり弁護士だったよ。父親を求めているのかもしれないって?彼女には二人いる。育ての親と、私とね」。若い女性たちは、父親の愛情を受けていてもなお、知的な年上の男性に惹かれるものなのだ。


サン・ドニがパリの仕事場で、気だるそうに高級ガウンを羽織りワインを飲みながら横になっている。観客は、ガブリエルの欲望の対象としての老作家を観ている。ポールのようにガツガツと迫ってはこず、いかにも女慣れし、女の欲望、自分に向けられる女の目線をどう扱えばいいか分かっているとでもいうような余裕のある態度である。


ガブリエルがポールといるとき、サン・ドニから花束が届く。「来てくれ」というメッセージを見ると、すぐさまポールの花束を投げ捨て、シャルルの下に走る。残酷。


サン・ドニを巡る女たち:


サン・ドニの聖女妻:

サン・ドニの妻は、夫の浮気についてすべて知ってており、「聖女」と呼ばれる。中盤で、彼女は夫である作家の浮気の後始末までしていることが判明する。夫の所業をすべて承知の上で一緒にいるのだ。有能なマネージャーのカプシーヌとも、夫と若い女性の浮気を報告してもらうなど、共犯関係にある。


彼女は、「来世に生まれ変わったら」と仮定し、「そのときもこの人と一緒になりたい」とは言わず、「男に生まれたいものです」と言う。ここからすでに、彼女と夫が同志的関係にあることがわかる。妻は好き勝手に生きる夫のすべてを受け入れ、そのわがままな行いの後始末さえも引き受け、一緒に暮らしているのである。これが聖女と呼ばれる所以である。


カプシーヌという女:

サン・ドニには、カプシーヌという外見も知性も洗練された美人マネージャーがいる。彼女もおそらくはシャルルと過去関係を持っていた。現在はガブリエルの連れて行かれた秘密クラブに出入りし、そこに集う上流階級の男性たちとの自由な関係を楽しんでいる。そこでの乱交交じりの自由な恋愛は、彼女の得た報酬であり、また払った代償でもある。


ガブリエルの結末:

サン・ドニと交際して洗練された女性となったガブリエルは、お天気キャスターからテレビ番組の司会へとキャリア・アップする。そして彼に振られたあとは、ゴダンス研究所の御曹司であるポールの求婚を受け、玉の輿に乗る。しかし結局嫉妬に駆られたポールの行いにより、すべてを失う。


恐ろしいのは劇中、作家との恋を経験したガブリエルがどんどん洗練され美しくなっていることである。最初から「きれいな娘ね」とは言われているが、化粧の仕方などシャドウがきつすぎて野暮ったくもある。「本を読まない」と言っていた彼女はしかし、作家とのやり取りを通じて研ぎ澄まされていくかのようである。ポールと結婚してからは、高級なオートクチュールのドレスが似合う「高い」女になっている。物語冒頭に感じた、作家の周りにいる妻やマネージャーといった洗練されつくした女性たちと並べても、遜色ない。こういう風に恋愛を通じたひとりの女性の変化の過程が、鮮やかに可視化された映画である。彼女の変化を追うだけでも、それなりに楽しめる映画だ。


最後の場面、ガブリエルはマジックで真っ二つに切断される。かつてサン・ドニとポールの間で引き裂かれていた彼女が、文字通り真っ二つの姿となる。観客から顔を背けて横たわるガブリエルの目から流れる一筋の涙。しかしラストシーン、ガブリエルは立って観客に向かって微笑んでいる。その姿は、彼女が過去を飲み込み、壮絶な記憶の痛みをすべて受け入れながら微笑んでいるように見える。この美しい笑顔を見せるために、この映画は撮られたのだと思った。

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しかしこの映画でほんとうに恐ろしいのは、ガブリエルの苦痛ではなく、妻の苦痛である。彼女は夫が何人もの女性を毒牙にかけ、同じ目に遭わせているのを目撃し、後始末に協力しているのだ。サン・ドニは彼女よりも何歳も若く瑞々しい女性と付き合い、その女性と声を上げて笑い合っている。そしてその女性のあとにも、同じような女性が続くことを、彼女は知っている。サン・ドニの妻でい続けたければ、自分が彼の遊びの後始末をしなければならないことも。


サン・ドニは「妻は聖女だ」と言うのだが、妻は「生まれ変わったら男になりたい」と言う。妻として地獄のような苦しみを味わってきた末にしか出てこない言葉だと思った。