手をつなぐ、つまり青春だ−『アベックパンチ』感想


六本木シネマートで、『アベックパンチ』を観てきました。(Dir. 古澤健, 『アベックパンチ』, 2011. 日本)


この作品には、終盤のイサキ・メバルとヒラマサ・エツの試合シーンに、エキストラで参加させていただきました。


漫画原作の映画化ですが、ちゃんと古澤監督の作家性が感じられる作品になっていると思いました。


原作は未読なので、以下、映画のみの感想となります。今回はできるだけネタバレなしで。

                                                        • -


粗筋は、以下の通り。


ヒラマサとイサキは、路上でいちゃいちゃしていたカップルに絡むが、一蹴されてしまう。彼らはキグチとヤマメといって、アベックパンチという競技のチャンピオンだった。アベックパンチとは、男女が手をつないで戦い、対戦中に手を離してしまったら負けというルールの競技。チャンピオン・カップルを見返すためにヒラマサは、南米から出稼ぎにやってきたコルビーナとペアを組む。イサキも父親所有のアパートに引っ越してきたメバルという女の子とペアを組む。しかし、アベックパンチにヒラマサが生きがいを見出し始めていた矢先に、コルビーナは入国管理局の役人に見つかり、本国へ強制送還されてしまう。果たしてヒラマサとイサキに明日は来るのか?…


まず、主人公の男性キャラ二人が出てくるのですが、きちんとチンピラの顔に見えるのがいいと思いました。イサキとヒラマサは、閉塞的な毎日を生き、将来の見えないまま目的もなく生きている「ダメな若者」に見えます。


また、笑ったポイントがいくつかあります。


・入国管理局が強すぎる。 不法入国者であるコルビーナを連れにやってくるのですが、役人なのになぜかいきなり暴力を行使します。


・アベックという死語をごくナチュラルに使っている。昭和顔のヒラマサが、「チクショー、アベックめ。今度見つけたら、ブチのめしてやる!」というようなことを言うのですが、この顔でこのシチュエーションで言うんだったらやはりカップルではなく「アベック」という言葉しかないと思わせる説得力です。アベック、流行らないかな。


しかし、観た後に気になった点がありました。

コルビーナがヒラマサに宛てた手紙を実はイサキが書いたということが、はっきり示されていません。コーチが「お前、メバルとうまくいくようになってから、頭も冴えるようになったな」と言うので、ヒラマサに届いた手紙はイサキが書いたのではないかと示唆されるのですが、イサキが手紙を書いているシーンをほんのちょっと挿入すればもっと分かりやすくなったのではないでしょうか。

                                                        • -


ここから先は、古澤監督の作家性が垣間見られた点についてです。


古澤健のMっぽいの、好き。』や『making of LOVE』といった古澤監督の作品を観てみると、人物の配置に特徴がある気がします。


女性が上の方に立ち、男性が下の方から女性を見上げて話しかけているショットが絶対にあります。


たとえば『古澤健のMっぽいの、好き。』では、友人同士の男女が対面で同じ目線で話しているのに、主人公のフルサワだけは道路から頸だけ出して映っているシーンがあります。ニョキっと地面から生首が生えているように見えるのです。これはギャグを狙うと同時に、友人同士の男女に比べ、女性の方に片思いしているフルサワの圧倒的心理的不利を、よく表現している1シーンでした。


making of LOVE』でも、ヒロインのゆかりが海岸で岩の上に立ち、主人公の翔太が下から見上げて話しかけるシーンがあります。


主人公を真正面に据えているかそれとも向き合う男女の姿を横から撮っているかは違うのですが、必ず「男性が女性を見上げる」シーンがあるのです。


アベックパンチ』でも、夜の階段シーンで、イサキがメバルを追いかけメバルの過去を知るシーンで、イサキがメバルを見上げる形になっていました。


何が言いたいのかというと、古澤監督は男女関係を描くときに、なぜかそういう配置になってしまう。心理的距離とか、「男は女に懇願し、秘密を呈示してもらう」というような関係性を示しているのではないかと思いました。


ほかにも、イサキとメバルのジョギングシーンや、橋の下で女性が立って恋人を待っているシーンなど、登場人物の心理を映画的構図で表現していると思われるシーンがいくつもありました。


ある対象を「ただ映す」のではなく、ちゃんと映画的構図を計算した上で撮っていることが感じられます。物語がそこにはあると感じられるのです。「画面にただ映ったものを機械的に撮った映像」ではなく、「登場人物の情緒や構図がきちんと構成された物語」を観ている気分にさせられるから、私は古澤監督の撮る映画が大好きなんだと思います。


最後に、特にいいと思った箇所二つ:


前半:金もない、彼女もいない、生きる目的もないイサキとヒラマサの閉塞感が伝わってくる会話部分。何もない町の片隅でその日暮らしをする若者たちの希望のなさが伝わってきました。


終盤:水崎綾女さんや武田梨奈さんといった当代きっての美人アクション女優さんたちが唇に青あざをつくり、鼻血を出して顔面をめちゃくちゃにしながら全力で殴り合う同門同士の対決シーン。最高にかっこよく、胸熱です。