ソウルメイトを探して―『ラブ・アゲイン』感想

新宿シネマートで、『ラブ・アゲイン』を観てきました。(Dir. Glenn Ficarra, John Requa. Crazy, Stupid, Love. 2011. United States. )

以下、内容に触れています。

                                                                • -

冴えない中年男キャル。妻エミリーに突然離婚を切り出され、しかもすでに会社の同僚と浮気済みであることも告白される。バーで荒れる彼を見かねたナンパ男ジェイコブは、モテ男指南に乗り出す、というもの。

修行映画のフォーマット

この映画は、前半のモテ修行の場面が、「弱さの認識」→「弱点の克服」→「ゲームでの勝利」と、格闘修行映画のフォーマットに則っているのが面白い。

冒頭、オシャレなレストラン、カメラは客の足元を映し出している。ヒールや高級な革靴の後、汚いスニーカーでカメラは止まる。これを履いているのがこの映画の主人公キャル。ここから、この映画のテーマが「見た目」とモテの関係性であることが分かる。そしてここで、「見た目が冴えない」という主人公が克服すべき欠点が呈示されている。

妻に離婚を切り出された後、「寝取られた。デイヴィッド・リンハーゲン*1が寝取ったんだ。彼が俺を寝取られ男にしたんだ」("I'm cuckolded. David Lindhagen cuckolded me. He made a cuckold out of me.")と、 延々と呪詛をまき散らすキャル。「真実ならまずそれを認識しなきゃ」と、ジェイコブは現実認識をうながす。「あんたが変わったら、あんたの妻だってあんたを捨てた日を後悔する日がある」。ここでキャルの目標が定まる。

スティーブ・ジョブズじゃないなら、もうスニーカーを履く権利はない」

ショッピング・モールでキャルを外側から変身させるジェイコブ。この場面でのジェイコブは、次々とロマンティック・コメディ史に残るような名言を吐きだしている。(引き合いに出されたNew BalanceやGAPはいやだろうけど…。)

"Are you Steve Jobs? What? Hold on a second. Are you the billionaire owner of Apple Computers? No. Oh, okay. Well, in that case you have no right to wear New Balance sneakers."
(「あんたはスティーブ・ジョブズか?いや待て。あんたはアップル社の億万長者の社長か?違うだろ。だったらあんたにはニュー・バランスのスニーカーを履く権利はない」。)

"Be better than the GAP."
(「GAPは卒業するんだ」。)

「戦い方は刷り込まれてる」

これまでに付き合った女性の数を聞き、妻としか経験がないことをキャルが告白すると、驚愕するジェイコブ。

"You ever see Karate Kid? [ . . . ] You know, when he's teaching him to wax and off, but he's really teaching him to fight?"
(『ベストキッド』を観たことはあるか?[ . . . ]ワックスがけを教えてるとき、実際には彼は戦い方を教えてるだろ?)

ここでモテ=場数をこなすことだという理論が呈示される。女性経験を積ませるために、キャルの前で何人もの女性をお持ち帰りするジェイコブ。外見はましになっても、トークのだめなキャルはなかなか女性に相手にされない。そんな中、ジェイコブがキャルのために見つけてきたのは、明らかに欲求不満そうな顔をした中年女性ケイト。

"You're a perfect combination of sexy and qute."

妻にかつて囁いた褒め言葉を使い、ケイトと一夜を過ごすことに成功するキャル。

ここでマリサ・トメイ演じるケイトは、「修行を積んだ主人公の第一戦を成功させるための踏み台」として使われている。

この映画の残酷なところ

ここまで彼らのモテ道修行を例示してきて一言言っておきたいのは、当たり前のことだが、恋愛は格闘やゲームとは違うということだ。磨いた技を競い合いフェアに勝敗が決まる格闘と違い、恋愛においては片方が試合終了だと思っても、もう片方がそうではない場合がある。キャルにとって自分が一夜の相手に過ぎなかったことを知ったケイトは、感情がリセットできず(しかしある事情から実際に起こったことは明かせない立場に追い込まれ)、ヒステリックに泣き笑い、わめく。彼女は知らないことだがさらにたちが悪いことに、キャルはケイトを「女性経験が妻のみであることから脱する道具」として使ったのだ。それほど悪人でもない、どちらかというと愚鈍な善人が他人を平気で利用する様を、この映画はまざまざと描いている。

終盤、キャルが"I love you, Emily!"と叫ぶとき、その場に同席していたはずのケイトはすでにフェイドアウトしてしまっている。中指を立てたサインが、この映画における彼女の最後の仕草である。

この役柄は『レスラー』のストリッパー役で圧倒的に美しい裸体を晒し、「中年女性で裸一貫であることは、恥ずべきことではない」と証明したマリサ・トメイでなければ演じられなかったと思う。たぶんほかの女優さんが演じたならば、辛くて観ていられなかっただろう。しかしほかの映画でその女優さんが発した肉体的存在感でその役を演じることを承認されるような役柄ってどうなのよ…。

熟年離婚夫妻に利用された形となったケイトとデイヴィッド・リンハーゲンが出会って恋に落ちる場面が描かれていたら、この映画をもっと好きになっていたかもしれない。

ソウルメイトを探して

前半のジェイコブとキャルのモテ修行を経て、「モテと愛する人と一緒になれることは違う」ということがだんだんと浮き彫りになるのだが、それをはっきりさせるのはキャルの息子ロビーだ。彼は子守のジェシカのことが好きで、何度振られても「君は僕のソウルメイトだ」と繰り返す。ロマンティック・コメディの定義として、「「運命の人」("Mr(Ms) right"/ "the right one")や「自分の半身」("my better half")を見つけるまでの話」というのを提唱したいのだけど、この「心の友」("soul mate")もそういうニュアンスがある言葉だ。

彼のストレートでひたむきな行動、そしてそれがもたらした絶望が、ひたすら表層的なモテ道に邁進するのみであった父の心をも動かし、この映画を締めくくるスピーチをさせる。壇上で二人が愛を叫ぶとき、"Crazy, Stupid, Love."というタイトルの単語は、三つとも「バカ」の意味で使われていたのかな、と思った。

愛することはバカのすることだけども、人は愛さずにはいられない。たとえ相手が自分のことを見てくれなくても。

観終わったあと、劇中で描かれた愛がどれ一つ成就しなかった*2ことに気付き愕然とした。そしてそれにもかかわらず、登場人物たちが「もう一度」人を愛する気持ちになっていたことにも。

                                                              • -

いい映画でした。今年の個人的ベストテンには入ります。

*1:演じるのはケビン・ベーコン。最近悪役続きだったので、いい人役はうれしい。

*2:訂正。ある一組だけは成就する。この映画最大のツイストとなるカップルであり、『ダーティ・ダンシング』ばりのリフトを見せてくれた人たちだったのに忘れてた。映画から一つの教訓を導き出すことに腐心しているとこうなる。