「キリスト降誕物語」と反キリスト者誕生譚ー『アンチクライスト』感想
今年の初旬に、シアターN渋谷で『アンチクライスト』を観てきました。*1(Dir. Lars von Trier, Antichrist. 2009. Denmark, Germany, France, Sweden, Italy, Poland.)
「キリストの降誕物語」("The Nativity")*2を反転させたような物語だと思いました。
キリストの生誕物語は、以下の6つのシーンに大別されます。
1. 天使(The Angel)
ナザレのマリアのもとに、大天使ガブリエルがやってきて受胎告知をする。
恐れないよう言うガブリエル。「名前はイエス、彼は神の息子となります」。
2. 宿に空き部屋はなかった(No Room at The Inn)
アウグストゥス皇帝の人口調査のため、一族の出生地であるベツレヘムに戻ったヨセフとマリア。
しかし宿に空き部屋はなかった。産気づくマリア。
3. 馬小屋(The Stable)
ヨセフは馬小屋に雨露をしのぐ場所を見つけ、そこでイエスが生まれる。
マリアは子供を暖かい布でくるみ、動物の飼葉桶に横たえると、
とても寒い夜だったので、雄牛とロバが彼に息を吹きかけた。
4. 羊飼いたち(The Shepherds)
近くの野原で羊飼いたちが羊の面倒を見ていると、
突然、一人の天使が彼らの元に現れ、ベツレヘで救い主が生まれ、飼葉桶に横たわっていると告げる。ますますたくさんの天使たちが、空を満たし、歌っていた。「神に栄光を、地に平和を」。
羊飼いたちはベツレヘムに急いで戻り、天使の言った通りそこでイエスを見つけた。
5. 賢者たち(The Wise Men)
イエスを称えるため、星が東方から三人の賢者たちを導いてきた。
星はさらに彼らを導き、ついにイエスが横たわる家の上で止まった。
6. 贈り物(The Gifts)
ついに三人の賢者はイエスを見つけた。赤ん坊がマリアと一緒に
いるのを見たとき、彼らはひざまずき、金、乳香、没薬の贈り物を渡した。
誰もが歓び、そして天の天使たちとともに歌った。
「神に栄光を!ハレルヤ」
『アンチクライスト』の構成
一方、『アンチクライスト』もまた、以下の6章に章立てされています。
序章
ニック*3という名前の彼らの息子が、両親がセックスしている最中に窓から地上の雪の上に落下し即死する。
第一章「悲しみ」(Grief)
精神に異常をきたした妻のため、エデンという名の山小屋で転地療養することに決める「彼」。
第二章「痛み」(混沌が支配する)(Pain (Chaos Reigns) )
どんぐりが屋根に落下する音がうるさい山小屋。「彼」は、自分のはらわたを抜き出す狐が「混沌が支配する」と言うのを聞く。
第三章「絶望」(女性殺し) (Despair (Gynocide) )
「彼」は、「彼女」が書いていた魔女狩りについての論文、女性迫害史の資料、息子に靴を左右逆に履かせていたことを発見する。「捨てないと言ったくせに」と逆上した「彼女」は、「彼」の睾丸を丸太で潰し、血を射精するまでペニスをしごき、鑿で足に穴をあけて石うすをはめ足かせとする。意識を取り戻した彼は狐穴に逃げ込む。
第四章「三人の乞食たち」(Three Beggars)
正気を取り戻した彼女は泣いて謝る。フラッシュバックで、ニックが窓のそばにいたことに気づきながら、オーガズムを優先して助けに行かなかったことを思い出す(事実なのか罪悪感が見せた妄想なのかははっきりしない)。自慰の最中に鋏でクリトリスを切り取り悲鳴を上げる「彼女」。烏、狐、鹿の三匹の乞食がやってくる。床下の烏の鳴き声からレンチを見つけた「彼」は、石うすを外し、鋏で襲いかかってきた「彼女」を絞め殺す。山小屋の外で「彼女」を火葬する「彼」。
終章
山小屋を出て帰路につく「彼」。転んだ先になっていた黒イチゴを食べる。丘の頂上に着くと、下から何百人もの顔のない女性たちが登ってくるのが見えた。
NativityとAntichristの照応関係
以下、「キリストの降誕物語」と、『アンチクライスト』の類似点、もしくはあからさまに対照をなしている点を指摘します。
★馬小屋と山小屋という舞台の類似。
★三人の賢者(バージョンによっては王だったりmagi[東方三博士]だったりする)と三匹の乞食(烏、狐、鹿)の対比。
★Nativityにおいては、マリアは処女のまま懐胎させられますが、『アンチクライスト』においては、「彼女」は快楽と慰めのためだけにセックスしまくります。終盤のフラッシュバックで、「彼女」はニックが窓のそばにいて危ないことが気付いたのに、自分のオーガズムを優先させてセックスを止めなかったことが明らかになります。
★キリストが生まれた時、空をたくさんの天使が満たしますが、『アンチクライスト』ではたくさんの顔のない女性たちが昇天します。これは、処女のまま懐胎させられたマリアが解放されることを意味しているのではないでしょうか。
★「救い主が治める」世から「混沌が支配する」世へ
"Joy to the world"という、キリストの誕生を祝う有名なクリスマス・ソングがありますが、この歌の2番の歌詞は以下の通りです。
'Joy to the earth, the Savior reigns!
Let men their songs employ;
While fields and floods, rocks, hills and plains
Repeat the sounding joy,
Repeat the sounding joy,
Repeat, repeat, the sounding joy.'*4
映画中、狐らしい動物が、壮絶な笑顔を浮かべ(動物は笑わない)、"Chaos reigns."と言います。反キリスト者の生誕の祝辞ではないかと思われます。
反キリスト者とは誰か?
妻を絞め殺し、小屋から出たあと、黒イチゴの茂みで転び、黒イチゴを貪る「彼」。
黒イチゴとは、神から天国を追い出されたルシファーが唾を吐いた果物です。
セント・ミカエルの日以外は食べてはいけないとされています。
このことは、理性により妻を救えると思っていた「彼」が、ついに悪魔に魂を入り渡してしまったこと、つまりアンチクライストが生まれたことを示唆しているのではないでしょうか。
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森や動物、どんぐりといった、牧歌的な道具立て。なぜ邪悪で過激な物語を語るのに、このようなシチュエーションを選んだのか疑問でした。しかし、キリスト教圏では誰もが知っている「キリスト降誕物語」を反転させたものだと考えたらしっくりくるのではないでしょうか。
*1:3月初旬に観てきたので、記憶があやふやな部分は、Wikipediaの"Antichrist"の項を参照させていただきました。Antichrist http://en.wikipedia.org/wiki/Antichrist_(film)
*2:"The Nativity"の物語は、英米で幼児向けのポップアップ絵本になっています。その幼児向けのシンプルかつ力強い語り方が、ちょうど『アンチクライスト』のミニマムな語りと正確に対応しているように思えたので、参考にさせていただきました。 The Nativity: Six Glorious Pop-up Scenes
*3:ニック=悪魔の名前である。落下の最中彼が四方に両手両足を伸ばした姿は、クリスマス・ツリーの天辺にあるベツレヘムの星のようである。雪の地面に大の字になった姿も。
*4:Wikipedia「もろびとこぞりて」の項 http://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%82%82%e3%82%8d%e3%81%b3%e3%81%a8%e3%81%93%e3%81%9e%e3%82%8a%e3%81%a6 12月25日閲覧。