フラーケンのポテンシャルは女性の可能性と同義である-『キャプテン・マーヴェル』

ボスのヨン・ロッグに何度も感情を抑えるよう指示されるヴァース。仕事場で女性がよく言われることと同じだ。


見知らぬバイカーに「俺のために笑ってくれよ」と言われるヴァース。これも女性が社会に出た時に対男性場面において期待されることを描いている。


しかしヴァースはまったく愛想笑いをしない。媚びない。これがいい。


猫を「フラーケン」と呼び怖がるスクラル星人に笑った。


部下の科学担当官を叱るスクラル人のタロスに対し、ニック・フューリーが「さすが科学担当」とフォローするのもよかった。部下に対する態度に人間性が現れる。若きフューリーの活躍が見られるのも嬉しい。


キャロルのクリー星人名"vers"は音としては"vase"と似ており、キャロルがエナジー・コアの「器」となったことを示しているのかと思った。


恋愛要素がないのもよかった。キャロルに自分がどんな人間だったか思い出させるのは親友のマリアである。


キャロルが地球に落ちてきた時点が1995年のアメリカで、1989年に新戦闘機のテスト飛行中に墜落した設定。映画開始時には、1989年以前の記憶を失くしている。


しかし男性社会に攻撃を向けられ、「女は飛べない」と言われながら生きてきた断片的な記憶はある。「自分たちのルールに従わないから彼ら(スクラム人)を殺すのね」という台詞は、ホモソーシャルな男性社会に抑圧されてきた者の叫びだ。


クリー人の指導者がインテリジェンスというのは秀逸だ。それは見る者が最も敬意を抱く存在に姿を変える。知性は抱く者のポテンシャルの反映とでもいうかのようだ。


スクロル人も、なりたい者の姿に自在に変わる能力を持つ。この映画では、変容が大きなテーマである。


ヒロインの"Vers"という名前は、接尾語ともなりうる。ラテン語で「向きを変える」という意味である。ヨン・ロッグが「最上の君になってくれ」と言う("I want you to be the best version of yourself")。"Version"の語源は「中身を変えること」である。キャロルがだんだんと自分の力に目覚め、姿を変えていくことを指しているようだ。


ヨン・ロッグはキャロルの力を奪おうとする。「ずっと縛られたまま戦ってきた」というキャロルの台詞は、20世紀初頭、イギリスの婦人参政権運動のポスターで描かれる鎖に縛られたサフラジェットを思い起こさせる(当然それを意識した言葉だろう)。


猫がフラーケンのポテンシャルを発露したように、キャロルも「お前には無理だ」「感情を抑制せよ」という男性の呪いの言葉に負けずに力を解放する。その姿はフリッツ・ラングの光り輝くアンドロイド、マリアのようである(親友の名前がマリアであることからも、この作品への言及は明らかだろう)。


「何も証明する必要はない」という下りは笑った。男性相手に愛想笑いをする必要はないし、力加減をする必要もない。この映画は、かように爽快な女性ヒーロー像を描き出している。やや意図があからさま過ぎる点が玉に瑕のようにも思えるが、エンパワメントを目的とした大衆映画とはこれくらい分かりやすくないといけないのだろう。