ほんもののニセモノ−『あの頃ペニー・レインと』感想

『あの頃ペニー・レインと』を観ました。(Dir. Cameron Crowe, 2000, 原題 Almost Famous )

『ローリング・ストーン』誌から記事を書くよう頼まれた15歳の少年が、先輩のロック・ジャーナリストや、スティルウォーターというバンド、そのバンドのグルーピーであるペニー・レインとの出会いや別れを通じ、成長していく物語。実際に15歳で『ローリング・ストーン』誌のライターとなったこの作品の監督キャメロン・クロウの実体験が基になっているそうです。

以下、断片的な感想です。

『クリーム』というロック雑誌の名物記者レスター・バングスというキャラが、非常によかった。演じたのは名優フィリップ・シーモア・ホフマン

ロック・ジャーナリストを目指す主人公ウィリアム(パトリック・フュジット)に、彼は次のことを助言します。

・バンドとは友達になるな。
・彼らが君に酒を奢ったり、女をあてがったりするのは、カッコよく書いてほしいからだ。利用されるな。
・書くときは正直に(honest)、手厳しく(unmerciful)書け。
・いまのロック界は、「カッコよさだけがもてはやされる世界」(元の台詞は「カッコよさをウリにする産業」"Industry of Cool")*1になってしまった。

これらの助言を胸に、ウィリアムはプロのロック・ジャーナリストとなるべく、自分の町にやってきた駆け出しバンド、スティルウォーターのライブに乗り込みます。しかし、ライブ・レポートを書くために雑誌から送り込まれたとコンサート会場の裏口で名乗っても、警備員は通してくれません。そんな彼をからかいながら話しかけてきたのは、「バンド・エイド」を名乗る女の子たちでした。「バンド・エイド」とは、「バンドに音楽のインスピレーションを与える存在」のこと、と彼女たちは定義します。そのリーダー格がペニー・レイン(ケイト・ハドソン)という美少女でした。

彼女たちとドサクサにまぎれてコンサート会場に入ろうとするウィリアムですが、やはり門前払い。しかし、ツアーバスで裏口までやってきたスティルウォーター自身に名指しで話しかけ、音楽の感想を語り、バンドに認められた彼は、会場に入ることに成功します。彼は「天敵」("Our enemy")というあだ名を付けられ、ツアーに同行することとなります。天敵とは、音楽を辛口に批判し評判を落とすことによってバンドの邪魔をする存在としての、ロック・ジャーナリストを指します。

彼らには、先ほどの「バンド・エイド」の女の子たちがついています。「彼女たちについては書くな」と、バンドの中心的存在でありイケメン・ギタリストであるラッセル・ハモンド(ビリー・クラダップ)に、ウィリアムは釘を刺されます。「結婚しているメンバーもいるし、彼女を故郷に残してきたメンバーもいる」からです。つまり、彼らの中では彼女たちは、ツアー中だけ同行し、お祭騒ぎに付き合ってくれ、セックスの相手もしてくれる存在、現実の世界では用のない女の子たち、平たく言うと、単なるグルーピーなのです。

バンドと寝食をともにし、ライブのときは舞台袖でかぶりつきで観れ、毎晩みんなでお酒やドラッグでキメて、どんちゃん騒ぎ。そんな彼女たちの口癖は、"It's all happening!"(ゴキゲンね〜)です。

しかし、そんな彼女たちの抱える心の闇が、徐々に明らかになります。

バンドのツアーバスが走る早朝の田舎道で、爽やかな女子高生たちがランニングをしています。ペニー・レインはそれを見て、笑顔でそっと中指を立てます。まるで女子高生たちが、彼女の取り戻せない何かを象徴しているかのように。

彼女のツアー中のパートナー、ラッセルには、本命の彼女が地元にいて、自分がツアー中の遊び相手であることは分かっています。しかし、虚しい関係に気付かないフリをするのです。

ラッセルは、ホテルで一緒になったほかのバンドとのポーカーで負けて、ペニーを賭けの景品としてあっさり譲ることにします。その場にいたウィリアムは、「ラッセルは故郷のNYまで私に一緒に来て欲しいと思ってるのよ」と夢を見るペニーに、「君は50ドルとビールと引き換えにされたんだぞ!」とすべてをぶちまけます。それを聞き、涙を流しながらも笑顔を作り、「ビールの銘柄は?」と聞くペニー。驚きながら、「ハイネケン」と答えるウィリアム。ペニーは、「ほんとうのことを聞いてショックを受けるなんて、クールじゃない」と彼女なりに思ったのでしょうか。心に残る名場面です。

ところでこの場面でウィリアムは、現実を受け入れようとしないペニーに、「内輪のルールやニックネーム(ペニー・レインは本名ではない)、何なんだよ。いつこの『ほんとうのこと』は起こるんだよ!(When does this "Real" occur?)」とキレます。"It's happening!"と言いながら、なにもほんとうのことは起こっていない点に、グルーピーの悲しさが表れています。

「音楽を援助する」崇高な存在であるはずの彼女たちが、「なぜ愛されないの?」("Why doesn't he love me?") *2という人間くさい苦しみを吐きます。

クールなふりをして、本命の彼女にはなれないと分かっているつもりだったんだけど、ほんとうはラッセルの存在が彼女にはすべてだったのです。彼女は賭けの景品にされ売り飛ばされそうになったという衝撃的な事実を知ったあとでさえ、NYにラッセルを追いかけていきます。彼の恋人が待っていることを知りながら。パーティで彼女の隣に座ったラッセルが自分の元に来てくれないことを知ったペニーは、自分が利用され捨てられたという現実を、まざまざと突きつけられます。

ペニーはその夜、服毒自殺を試み、寸前でウィリアムに助けられます。医者から胃の洗浄をされながら痙攣するペニーの足のアップ。ペニーは飛行機で故郷に帰ります。

その後、ウィリアムはバンドに近づきすぎたために、提灯持ちのような記事しか書けず、ツアー同行記をボツにされかかります。そんなときに助言を与えてくれたのは、やはりレスター・バングスでした。このときのレスターの励ましがこの映画で最もすばらしい場面なので、全文引用します。*3


Lester Bangs: Aw, man. You made friends with them. See, friendship is the booze they feed you.
They want you to get drunk on feeling like you belong.
William Miller: Well, it was fun.
Lester Bangs: They make you feel cool. And hey. I met you. You are not cool.
William Miller: I know. Even when I thought I was, I knew I wasn't.
Lester Bangs: That's because we're uncool. And while women will always be a problem for us, most of

the great art in the world is about that very same problem. Good-looking people don't have any spine.

Their art never lasts. They get the girls, but we're smarter.
William Miller: I can really see that now.
Lester Bangs: Yeah, great art is about conflict and pain and guilt and longing and love disguised as sex,
and sex disguised as love... and let's face it, you got a big head start.
William Miller: I'm glad you were home.
Lester Bangs: I'm always home. I'm uncool.
William Miller: Me too!
Lester Bangs: The only true currency in this bankrupt world is what we share with someone else when we're uncool.
William Miller: I feel better.
Lester Bangs: My advice to you. I know you think those guys are your friends. You wanna be a true friend to them?
Be honest, and unmerciful.

レスター:マズイな。接近しすぎだ。友情はアルコールと同じだ。酔えば仲間意識に溺れる。奴らはきみを、所属意識みたいなものに酔わせたいんだ。
ウィリアム:ああ、楽しかったよ。
レスター:きみは自分がカッコいいと感じさせられたろ。なあ、俺は君に会ったんだぜ。君はカッコよくない。
ウィリアム:知ってるよ。カッコいいと思いたくても、そうでないって分かってた。
レスター:俺だってそうさ。こんなタイプは女の扱いが下手だ。だが偉大な芸術はここから生まれる。顔のいい男は根性なしで、その芸術も長続きしない。だが俺たちには頭脳がある。
ウィリアム:いまは理解できるよ。
レスター:ああ、偉大な芸術は、葛藤と苦痛と罪悪感と渇望とセックスのふりをした愛と愛のふりをしたセックスにあるんだ。・・・君は好調な滑り出しができたんだぜ。
ウィリアム:電話に出てくれてよかったよ。
レスター:いつも家にいるさ。カッコわるいからね。
ウィリアム:僕もだ。
レスター:この破産した世界で唯一本当に流通する通貨は、自分がカッコわるいときにほかの誰かと分かち合える何かなんだ。
ウィリアム:気分がよくなってきたよ。
レスター:助言しておく。君は彼らが友達だと思ってただろ。ほんとうの友達になりたいか? 正直に、手厳しくやれ。


「正直に、手厳しく」("Honest, and unmerciful.")。いくら親しい人間の作ったものであっても、それについてなにか内実のあることを書くのであれば、少しの偽りもあってはならない。これこそがほんとうの批評的態度だと思いました。


作品の最後には、以下の断り書きがありました。

"This motion picture is a work of fiction.
The character "Penny Lane" is loosely based on an actual person.
Most of the other characters in this photoplay, and all events, are fictious."
「この映画はフィクションです。
『ペニー・レイン』という登場人物だけは、実在の人物に漠然と基づいています。
この映画のほかの人物のほとんどや、すべての出来事は、虚構です」。

映画のなかで「バンド・エイド」という虚構の中に生き、現実の世界で愛されずに苦しんでいたペニー・レイン。彼女だけが現実に生きた人間だと最後に宣言された気がしました。キャメロン・クロウ監督は、一グルーピーだったペニー・レインを、映画の形で永遠に残しました。芸術を愛しながら、自分は芸術を作れずに泡沫のように消えていく人間への、頌歌のような映画でした。

*1:この映画自体、圧倒的にかっこいい何かに憧れて自分はそれになれない「カッコわるい」(uncool)人物を主人公にしている時点で、"Industry of Uncool"(カッコわるさをウリにする産業、非モテの共感エクスプロイテーション。)の一商品だと言えます。類似商品:『(500)日のサマー』、『モテキ

*2:このときのペニーには、「男の人って、一回セフレ認定した人って絶対本命に上げないでしょ」(出典:Bootleg, vol. 3 「ラブストーリー」p. 6)という峰なゆかさんの名言を聞かせたい。

*3:出典:IMDb: Memorable Quates for Almost Famous, http://www.imdb.com/title/tt0181875/quotes?qt0450322