"Where Is My Mind?"-『エンジェルウォーズ』感想

渋谷シネパレスで『エンジェルウォーズ』を観てきました。(Dir. Zack Snyder, Sucker Punch, 2010)

徹底的に決定権が男性の手に握られた世界で、少女たちがそれを取り戻すまでの物語として、面白かったです。

以下、ネタバレ感想。

劇場に座ると、Pixiesの"Where Is My Mind?"とビョークの"Army of Me"が延々ループでかかっていたんですね。
映画のなかでも重要なシーンで使われていました。


"Where Is My Mind?":
(私の心はどこへ行った?)

Oh - stop あー、止め

With your feet in the air and your head on the ground 足は宙に、頭は地面に
Try this trick and spin it, yeah さあ、回してみるの
Your head will collapse 頭がおかしくなるでしょう
But there's nothing in it でももともと頭蓋骨には何も入っちゃいないの
And you'll ask yourself そこで自問するでしょう

Where is my mind [3x] 私の心はどこに?

Way out in the water ずうっと向こうの水中に
See it swimmin' それが泳いでいるのが見えるでしょう

I was swimmin' in the Caribbean カリブ海で泳いでた
Animals were hiding behind the rocks 動物たちが岩の後ろに隠れてた
Except the little fish 小魚たちは違ったけど
But they told me, he swears でも彼らは言うの、彼は誓った
Tryin' to talk to me, coy koi. 私に話かけようとして、鯉来いって
Where is my mind [3x] 私の心はどこに
Way out in the water ずっと向こうの水中に
See it swimmin' ? 泳いでるのが見えるでしょう?


このピクシーズの名曲(『ファイト・クラブ』でも使われていた)は、序盤ベイビードールのロボトミー手術が始まりそうなシーンでかかります。
これから前頭葉を切除されそうな彼女の顔に「わたしの心はどこにあるの?」という曲が被さる。
この意味については後で考えます。


そしてぱっと画面が切り替わり、娼館のショーのリハーサルシーンに移り、いつのまにか手術台のベイビードールはスイート・ピーになっています。


スイート・ピーというのは、家出した妹を救うために追いかけてきて、自分も一緒に精神病院に入院させられてしまった少女です。
妹を救えずに誤って殺してしまい精神病院に入れられたベイビードールが、妹を救おうとして精神病院に入る羽目になったスイート・ピーと出会う。
「妹を救う」ということが、大きなテーマとなっていることが分かります。


「妹を救えなかった/ 妹を救うために精神病院に入った」ということが、彼女たちの共通点としてあります。ベイビー・ドールとスイート・ピーは、同じコインの表と裏なのです。ここですでに、終盤メイン・キャラクターの関係が反転することが示唆されています。


レノックス・ハウスという少女向け精神病院の主治医に、ベイビードールは以下のような暗示をかけられます。


"You are afraid. Don’t be. You have all the weapons you need.
Your fight for survival -- starts right now.
What you are imagining right now, you control this world... What you are imagining right now, that place can be as real as anything.
To reach your own paradise. Just let go."*1
「怖がっているわね。恐れないで。あなたには必要な武器がすべて揃ってるんだから。
あなたの生存への戦いは、すぐに始まる。
いま想像していることで、この世界を支配するのよ。…あなたがいま想像してる場所、その場所はこれ以上ないくらいリアルな場所よ。
自分の楽園に達するために、自分を解放しなさい」


この主治医マダム・ゴルスキーは、ベイビードールに対し、「想像力を解放せよ」と言います。
この精神病院は、少女たちに演技セラピーを施しています。
少女たちは自分たちの心を解放するために、自らの歴史を演ずることを勧められています。


その演技セラピーの延長として、娼館を舞台としたベイビー・ドールの空想世界があります。


『エンジェル・ウォーズ』の世界の構図:

現実世界(レノックス・ハウスという精神医療施設)/ 空想世界(娼館)


第2の空想世界(ドラゴンやナチス・ゾンビと戦う)
娼館でのアイテム奪還が、ほとんどクリシェ的ゲーム画像で展開する。


精神病院を脱出するために、ベイビー・ドールは5つのアイテムを「持てる者=権力者の男性たち」から奪おうとします。男性を幻惑して気を逸らすために、ベイビー・ドールは誰も見たことがないような素晴らしいダンスを踊ります。そのダンス・シーンは、さらなるファンタジーの世界でナチス・ゾンビやロボットからアイテムを奪っていくアクション・シーンで表されます。


この映画の評価には、監督のオタク心満載の第二の空想シーンにノレるかノレないかが大きく影響していると思いました。


私はこのアクション・シーンにはまったく感銘を受けることなく、「ゲームみたいな映像だな。わざとそう撮ってるのかな」と思ったくらいでした。男性が入る余地のないファンタジー世界で、顔のないゾンビやドラゴンと戦っています。これは明らかに、男性のグロテスクな欲望の比喩であり、それをベイビー・ドールはゲームのように機械的にクリアしていくのみです。男性も登場しますが、戦い方を教えてくれるメンター(導師)としてのスコット・グレンのみです。


それよりも、私が考えさせられたのは、現実と第一の空想世界の関係です。この二つを切り離して考える人も多いようですが、私は以下のように繋がっていると思いました。


精神病院で行なわれている演技セラピー=資金集めのために患者たちを町の有力者たちに供している売春組織


少女たちには演技セラピーと言って売春婦の真似事をさせ、精神病院の運営者たちが私腹を肥やすためや病院の運営のためにそれを利用しているという構図です。


最初のアクション・シーンでベイビー・ドールは導師に以下の物を手に入れるよう助言されます。


5つのアイテム
地図

ナイフ
キー
?


これはすべて、現実世界でベイビードールたちがコックや用務員(第一の空想世界では娼館主)から盗む物のメタファーです。
男性が所有するクソツマンネー物を奪うために、女の子たちがどのくらいの労働をしなければならないかの比喩として面白かったです。ライターやナイフといったちょっとした物を手に入れるために、どれだけのファンタジーで幻惑し、陶酔させなければならないか。等価交換の成り立っていない取引。


よくよく考えてみると、ベイビードールは予めすべてを奪われた/ 奪われつつある存在なんですね。
義父により母親の遺産を、そして妹を奪われ、ロボトミー手術により自分の心の自由まで奪われようとしている。
そんな彼女が、心の自由を取り戻すために入った空想の世界で、男性たちを魅了し、脱出に必要な物を盗んでいく。


なぜスイート・ピーを救うのか:

空想世界に入る前のベイビードールの虚ろな表情。
すでに、義父を殺そうとして妹を誤って殺してしまって以来、彼女の心は壊れていたのです。
スイート・ピーを逃そうとしたのには、贖罪の意味もあったのではないでしょうか。
あのとき、クローゼットに隠れていた妹を救えなかった彼女は、妹を失って物置で泣いていたスイート・ピーを連れ出すのです。
スイート・ピーは、妹を追いかけて施設に入れられてしまった、自己犠牲の体現者でもあります。


スイート・ピーを救うということは、ベイビー・ドール自身の救済にも繋がっているのです。
"You are the only one who gotta a chance out there. That's the only way we win."(「あなただけが現実の世界で成功する可能性を持ってるのよ。それが唯一わたしたちが勝てる方法なの」)と言い、スイート・ピーを逃そうとします。("out there"というのはミッキー・ローク主演の映画『レスラー』の最後の決定的場面でも出てきましたが、「実社会」のことです。)


ベイビー・ドールは現実世界で勝つチャンスを、スイート・ピーに仮託したのです。
主人公がベイビー・ドールからスイート・ピーに変る瞬間です。


スイート・ピーの脱出シーンと、ベイビー・ドールのロボトミー手術シーンは重なります。
ベイビー・ドールの頭に医者が医療器具を突き刺すシーンに、フラッシュ・バックで彼女が妹を誤って殺してしまったカットが重なります。
彼女は、いつまでも妹の死とそれにまつわる罪の意識から逃れられなかったことが暗示されます。
そのため、医者が驚いて言うように、ロボトミー手術を受けながら彼女は「感謝の表情」を浮かべているのです。
現実世界に脱出したとしても、すでに生きてはいけないことを彼女は自覚していたのでしょう。
そのために、スイート・ピーに現実世界での未来を託したのです。


太腿の使い方:


この映画では、少女の太腿が印象的に使われているシーンが三つありました。


1. 現実世界:暗い屋敷の中、義父の虐待を恐れて抱き合って震えるベイビー・ドールと妹の太腿から膝が大写しに。


2. 第二の空想世界:敵を倒したあと、地面に着地したベイビー・ドールの太腿が大写しになる。


3. 再び現実世界:最後の脱出シーン。スイート・ピーからレノックス・ハウスにやってきた金持ちの客たちの目を逸らすために、ベイビー・ドールが客の一人の金的に蹴りを喰らわせる。


最初に義父を恐れて震え、銃を向けても止めを刺せなかったるベイビー・ドールは、自分を食い物にしようとしている男性の急所をダイレクトに攻撃できるまでの強さを身に付けているのです。


いままであんなにも装飾過剰なパフォーマンスで男性達を魅惑していたのにも拘わらず、最後にその象徴に蹴りを喰らわせるのです。
私にはそれが、ベイビー・ドールの勝利宣言に見えました。


それまで映画で描かれてきたオタク的妄想すべてを粉砕するようなベイビー・ドールの太腿の使い方から、この監督は信用できるのではないかと思いました。


"Where Is My Mind?"の意味:

ベイビー・ドールの心の中というのは、物語が始まった時点ではすでに虚ろだったんですね。
最後まで彼女の心は妹が死んだ場面から逃れられなかった。
スイート・ピーを逃すことにより、妹の死の贖罪をし、ロボトミー手術を受けることにより、罪の意識からの解放を望んだ。


この物語は、ベイビー・ドールがほんとうの人形になるまでの物語だったのだと思いました。
そこで描かれるのは、無抵抗のまま人形になるか、戦ってからそうなるかの違いでしかない。しかし、その選択の違いはあまりにも大きいと言えます。

*1:出典: Movie Quotes http://www.quotesmovies.com/sucker-punch-movie-quotes/ ここの引用箇所、『マトリックス』や『V・フォー・ヴァンデッタ』という現実世界に対する反逆を描いたほかの映画に通じるところがあります。